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戦争が始まって、一年が経つ。
愚かな同族争いから発展したこの戦争は、なおも拡大を続け、一向に収まる気配を見せない。
誰に聞いても戦争など嫌だ、というわりに、
止まらない戦争、止まらない憎悪。
それに巻き込まれる人間達を見て自分が思うことは、
やはり人間とは、そういう生き物なのだということだろう。
平和や安らぎよりもプライド、誇りが大事。他人より優位に立つことを悦び、劣等感は敵意を呼ぶ。
どうしようもない。それを哂う自分だとて、そんな人間の一部なのだ。
この戦争がどこまで広がれば、人はその愚かさに気付くのだろう。
彼らの醜い部分から生み出された出来損ないの自分が唯一出来ることといえば、
今、この位置からその行く末を眺めることだけ。
久しぶりに自分の家に戻ってきたクルーゼは、少しだけその表情を緩ませた。
長く空けていた部屋は生活感など何もなく、ただ必要最小限の家具だけが置いてある。
元々、懇意である男の私宅に居候していたようなものだ、いささか寂しい気がするのも当然で、
とりあえずクルーゼは留守中の伝言を再生する。
特に興味のない内容が次々と流れる中、ひとつだけ聞き覚えのある声音。
クルーゼは耳を傾けた。
声は、あの男のものだった。
クルーゼは苦笑した。忙しいのは相変わらずらしい。バタバタした空気がこちらにも伝わってくる。
"無事帰ってきてくれて嬉しいよ。私は逢いに行けないが、レイに薬を持たせておいた。すまない、よろしく頼む"
よろしく頼む、も何も。
世話になっているのはすべてこちらの方で、
本来自分が育てるべき少年を彼に預けているのも、命を繋ぐ薬の調合を任せているのも、
すべて、彼には感謝している。
彼がいなければ、自分はこんな生き方などできなかっただろう。
だが、そんな思いを、クルーゼは決して彼の前では言わなかった。
彼に、いらない負担をかけたくなかったからである。

『君の力になりたい』

そんな真摯な声音を聞いたのは、そう遠い昔ではなかった気がする。
もちろん、クルーゼは鼻で哂った。自意識過剰なその男にも、誰の言葉も虚しく聞こえる自分自身の空虚さにも。
そんな馬鹿げた、無責任な言葉を投げかける存在を、
クルーゼは身体でもって責め立てたことすらある。所詮、何も出来やしないのだ。
呪われた魂を、その呪いから解き放つことも、憎しみで血塗られた過去も、光のない未来も、
誰も、それを覆すことなど出来ない。
その全てが、「ラウ・ル・クルーゼ」を構成する一部なのだ。
だというのに、
ギルバートというその男は手を伸ばして来た。
無力なクセに、イバラに手を伸ばし、その身を血に染める青年。
必死なその姿に、心を動かされない者などいるはずもなく、
そうしてクルーゼもまた、懲りることを知らない彼に多少なりとも心を動かされた。
馬鹿で、浅はかで、単純で。でも、心だけは真っ直ぐで。
だが、全てが愚かしい世界の中で、こんな馬鹿がいたってよいのだろう。

「・・・お前は馬鹿な奴だな、本当に・・・」

一度ならず彼の目の前で投げかけた言葉を、クルーゼは再度、口にした。
その内容とは対象的に、口元には薄い笑み。
ゆったりとソファに身を預けると、クルーゼの中に、ようやく静寂が訪れた。

目を閉じれば、脳裏に浮かぶ様々な光景。
その中で、先の戦闘でまたもや相見えた因縁の相手を思い、クルーゼは微かに憂いたようなため息をつく。
少なからず関係を持ったことのある相手だが、未だ本当の素性は告げていない。
確かに他人からみればよく似た特徴を持つ二人。だが、だからとて彼はまさか、この、幾度となく己に屈辱を強いてきた男が己の唯一の血縁だなどと、思いはしないだろう。
彼の生家―――フラガ家は18年も前に、没落したのだ。
生き延びられたのは、フラガ家の跡取り息子ただ1人。だが、幼い子供1人がフラガ家を再建できるはずもなく、
親戚仲もよくなかった彼はやがて軍へとその身を預けることになる。
たった1人で生きてきた彼にとって、今更血縁の存在を告げられても混乱するだけ。
だが現実に、彼の父、アル・ダ・フラガによって生み出された、彼の血を繋ぐ者たちが存在する以上、
彼には無関係者の顔をされても困る。
クルーゼは昏く哂った。
そう、彼には存分に苦しんでもらわなければ。
同じようにあの男の血を継ぐ存在であるくせに、その呪縛に囚われず、自由気ままに生きているなど、
許されないのだから。
暗い感情に身を浸しながら、クルーゼは次第に暴走を始める心臓を鎮めるように胸を押さえた。
微かに、だが確実に、残酷な苦痛が忍び寄っていた。
だが、薬は、ない。
予定外の長期出撃のせいで、無情なことに所持していた薬は切れてしまっていた。
だからクルーゼは、諦めたように再度目を閉じて、身体の力を抜く。
こんな時考えることといえば、
早く、この痛みが過ぎ去ってくれればいいのに、という我ながら情けないことばかりで、
クルーゼはそんな自分すら嘲笑う。
息が苦しい。
いっそ、死ねたらラクだろうか。
誰にも言えない、誰にも吐き出せない弱音を心の中で呟いて、
クルーゼはただ、襲う苦痛に耐え続けた。










シャトルから降り立った少年は、港からエレカを走らせていた。
戦場に出ていたラウ・ル・クルーゼからこちらに戻ると聞いたのは、つい先ほどのことで、
運悪く手の空いていないギルバートの代わりに、彼がクルーゼの元へ急ぐ。
数ある荷物の中、大事そうに抱えるそれはギルバートからの預かり物。
予定外の出撃が続いたせいで、彼に処方していた薬が切れているかもしれない、と心配そうに顔を曇らせていたギルバートに、
少年もまた、クルーゼを想い瞳を揺らす。
彼の、こちらへの到着予定時刻は1700時。
エレカの時計をちらりと見やって、レイはアクセルをより強く踏み込んだ。
クルーゼにとって、薬はまさに、この世に命を繋ぐ命綱なのだ。
少年が彼の家に着いたのは、1700時を少し回った後だった。
だが、少年とクルーゼとの繋がりも、ギルバートと彼らのつながりも、公に知られてはいろいろと困るため、
少年は裏庭へと回り、所持していたカードキーを差し込む。
室内に"彼"が居ることは、感覚が告げていた。どんなに離れている期間が長くとも、感じ合う遺伝子同士。
けれど足を踏み入れたそこは、誰もいないかのように暗く、カーテンは閉め切られ、その隙間から微かに夕日が差し込む程度で、
少年は自身の感覚を頼りにクルーゼを探す。
クルーゼは居間のソファに"居"た。
聞こえてくる苦しげな息遣い。少年はハッとする。
手に提げていた荷物を取り落とし、彼はクルーゼの元へと走った。

「っラウ・・・!!!」

目を閉じて、胸を押さえ苦しむ青年は、
しかし彼の名を呼ぶ少年の存在に意識を向ける余裕はないようだ。
レイはすぐに台所へと足を運ぶと、水を汲み、再び彼の元へと急いだ。
持ってきた薬の袋を乱暴に開け放つ。勢いでいくつか床に零れ落ちてしまったが、少年は気にしない。
薬を二粒、自分の口へと放ると、それから水を含んだ。
身体を傾ける。苦しむ彼のすぐ傍に手をついて。
唇を重ねる。口の端からは、流し込み切れなかった液体が洩れてくる。
けれど少年はそのままの体勢を崩さぬまま、彼の震える身体を抱き締めた。血の気の引いたそれは冷え切っていて、少年の心を痛ませる。
しばらくそうしていると、ようやくその即効性の薬の効果が表れ始めたのか、
激しく上下していた胸は落ち着きを取り戻し、彼の呼吸も苦しげなものから安定したものへと戻っていく。
やがて、少年の背に腕が回され、少年はやっと唇を離した。
背に触れる手は大きく、そして優しい。少年はそのまま、彼の首に顔を埋めた。

「・・・・・・レイ、か」
「・・・っ」

先ほどまでの激痛のせいでかすれた声が、自分の名を口にする。
それを聞く少年は、不覚にも泣きたくなった。自分を抱く彼の身体を蝕む運命の残酷さにだ。
クルーゼは、自分の首にしがみ付く彼の背をぽんぽんと叩いてやった。

「・・・もう、平気だ。また、世話を焼かせてしまったな、すまない」

疲れたような、しかし柔らかな口調に、レイは首を振る。

「・・・あやまらないで。俺には、こんなことしかできないから・・・」

うつむいてそう言う少年に、クルーゼは苦笑した。
どうして、あの青年もこの子も、どうにもできないことにすら心を痛め、悲しい顔をするのだろう。
自分にしてみれば、彼らが傍にいるだけで救いだった。それだけでも、自分は彼らに感謝すべきなのに。
クルーゼは手を少年の頭に添え、顔をしっかりと覗き込んだ。
実に4ヶ月ぶりの再会。少し、成長しただろうか?
自分の10年前を見ているような気がして、クルーゼは微かに笑った。

「・・・しばらく見ないうちに、大きくなったな」
「えっ?!・・・冗談だろう?大体この間会ってから4ヶ月くらいしか経ってないし」
「いや。・・・少し、男前になった」
「ばっ・・・!!」

何馬鹿なこと言ってるんだ、とクルーゼを咎める少年の顔は、照れたような色を見せている。
どうやら思い当たることがあったらしい。絶句するレイに、クルーゼはまた笑った。
こうして、自分がまったく裏のない笑みを零すなど、
ほとんど彼相手にしか向けないだろう。
彼と懇意のギルバートにすら、クルーゼはどこか読めない表情を浮かべる節がある。
そういう点では、やはりクルーゼとレイは、互いにその心を隠し通せないことをわかっていた。
遺伝子的な繋がり―――。それは、こうまで二人を近づけるものなのか。

「そんなに隠さなくてもいい。アイツのお陰だということくらい、私にもわかっている」
「っ・・・」

図星を突かれ、レイの頭に一気に血が上った。
抱かれていたクルーゼの腕から逃れようと、レイは身を捩ったけれど、
先ほどまで死にそうな顔をしていた人間とは思えない力で引き寄せられていて、
少年は仕方なく目の前の彼を睨んだ。
クルーゼはというと、幸せそうに目を細めて、口の端を緩めている。

「・・・怒るぞ、ラウ」
「すまんすまん。お前があんまり可愛いものだからな、つい」

そういって手を伸ばし、自分の頭を撫でてくるクルーゼに、
レイは不満そうに唸ったが、結局それだけで諦め、もう一度彼の首に手を回した。
初めて出会った時からずっと、こうしてクルーゼは自分の頭を撫でていた。
だから、この年になっても彼のこうした仕草にはどうにも弱い。

気付けば、日が落ちていた。
部屋の中もいよいよ暗くなり、互いの顔すら見難いほど。

「・・・それはそうと、レイ。今夜の予定は?」
「泊まっていくよ。ギルは今夜は夜勤で、朝こっちに直帰するって言ってたから、明日迎えに行く」
「こちらへ直帰?」

クルーゼは驚きの表情を浮かべた。
ギルバートの自宅と彼の勤務先は近いが、ここへはシャトル1本の道のりだ。
そもそもここはクルーゼが士官に就任した際に与えられた仮住まいみたいなものだから、
実際彼らが休暇として過ごす、といったら彼の自宅で、というのが正解だろう。

「そうだけど・・・今、アプリリウスにいるから。こっちのほうが近いってことになったんだ」

アプリリウス市は、プラントの首都に位置する市である。
最高評議会の議事堂もそこにあり、クルーゼらザフト士官に与えられる公宅もそこにあった。
だがどちらにしろ、長居すべき場所ではない。ひと目につくからである。

「そうか・・・。やれやれ、また移動は変装かな」
「どっちにしろ、だろう?ラウは。・・・移動途中にしろ、あっちにしろ、知り合いに捕まったら大変なんだから」
「・・・確かに。」

レイは肩を竦めた。
クルーゼもまた苦笑した。どうやら、レイには叶わないらしい。
これが惚れた弱みというべきか、それとも目に入れても痛くない、というべきか。

「もう、こんな時間か・・・」
「夕飯は、俺が作るよ。材料、持ってきたから」
「そうか。」

レイはクルーゼから身を離すと、部屋の明かりをオンにした。
漸く部屋が明るくなり、そのままレイは先ほど散ばらせてしまった床の薬を拾いあげる。
もちろんこのまま口にするわけにはいかないが、とりあえず風乾すれば飲めることを確認して、
今度は自分が取り落としたままの荷物から夕食の材料を取り出す。
すっかり調子を取り戻したクルーゼは、
台所へと向かうレイを後をついて来ていた。

「相変わらず、ギルバートの料理は駄目なのか?」
「もう全然。不器用すぎて、家事なんかやらせてられないよ。料理もほとんど俺がやってる」
「それはそれは。さぞかし上手くなったろう。楽しみだ」
「ラウにもらった料理本はマスターしたしね。・・・なんでギルは本通り作る、ってことができないんだか・・・」

いつぞやのクルーゼと同じようなことを言って、
レイはちゃっかり持ってきていたエプロンを腰に巻き、持ってきた材料を手際よく包丁で切り始めている。
その様子がどうにも、板についている。クルーゼは喉の奥で笑った。
どうやら、ギルバートはレイ相手にも、散々彼のいいようにしつけられているらしい。

「手伝おう」
「あ、じゃあニンジンの皮むきよろしく」

クルーゼとレイは、同じく台所に立ち、そうして包丁を持った。
少年に料理を教えたのはクルーゼだった。
最初はなかなか覚えの悪かったレイ。そんな昔のことを思い出して、
二人は同じタイミングで同じことに笑ってしまう。
折角の休暇くらい、こんな現実離れした生活もいいだろう。
どうせ、何日もすれば戦場へ引き戻されるのだ。
ふと、少年が自分のほうを見上げてきた。

「・・・ラウ」
「ん?」
「無事に帰ってきてくれて、よかった。心配してたから・・・」

レイの言葉に、苦笑した。
どうして、本当に、こんな自分に。

・・・なぜ、これほど自分を想ってくれる者がいるのだろう。

なぜ、こんな、存在意義もないような自分に。
どうせ、あと数年も持たない命に。

隣を見れば、自分と少しも違わない、浅い色の金の髪。
見つめてくる瞳は、スカイブルー。

クルーゼは自分の中の馬鹿な思考を消し去るように、レイに笑みを向けた。

「何を作るんだ?」
「秘密」

さっそく火に掛け始めた鍋に、レイは食材を放り込む。
ま、お手並み拝見といくとするかな。
鍋の中身を横目で見ながら、クルーゼは手元のニンジンの皮をむき始めた。






注:根菜は水から茹でましょう。






...to be continued.






Update:2005/07/15/FRI by BLUE

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