壊れた魂の行く末



戦争の終わりを告げるニュースは、しかし自分にとっては最悪なものだった。
かつて愛した者が二度と戻らないという事実。それは、認めたくない、あまりに残酷な、現実。
かの存在を父のように慕っていた少年も、今はまだ学校。
帰って来たら、どう言えばいい?
戦争の終結と共に、かの存在も失われてしまった、などと。

「教えてくれ・・・」

ギルバートは、赤く腫れ、泣き濡れたような瞳を揺らがせた。
テーブルの上には、いくつもの酒瓶。床にも散乱している空のそれらが、彼の荒れた様を示している。
普段、少しハメを外しただけで箍が外れてしまうほど酔いぐせのあるギルバートは、
しかしぐらぐらと揺れる頭に顔をしかめつつも、アルコールを呷る手を止めることはできなかった。
―――いっそ。
何も、わからなくなってしまえばいい。
何も考えたくなくて、ギルバートはひたすらにアルコールが見せる幻に縋る。―――それしか、胸の傷みを紛らわす術がなかった。
歪む、視界。既に、意識も上の空。ともすれば、闇に引き摺り込まれてしまう。
だが、それも構わない。
朦朧とする頭の中で、ギルバートは幻想の中の男に手を伸ばしていた。

「ラ、ウ・・・っ・・・!」

だが、彼が思い描いた存在は、己が望む腕を差し延べてなどくれなかった。
相変らずの皮肉げな笑み。そう、この男はいつだってそうだった。自分が悲しむのを、ただ笑うだけ。受け止めるわけでもなく、慰めてくれるわけでもなく、それでも傍にいてくれた彼。
フラつく身体をテーブルに手をついて支え、片方の手で"彼"を追う。どれほど手を伸ばしても、どれほど血を吐いても、届かなかったもの。
求めても、得られなかった、もの。
そして、"彼"は運命に違うことなく、その身を散らしていった。

「・・・―――っ・・・!」

ガタリ、とテーブルの手が滑った。支えを失った身体は、バランスを保てずにぐらりと傾く。
成す術もなく毛の長い絨毯の上に転がり落ちてしまったギルバートは、それでも起き上がる気力などなく、
そのままの格好で放心したように蹲っていた。

「・・・―――っ痛・・・」

唇を、噛む。全身が、苦痛に戦慄いた。だがそれは、身体の痛みではなく、心の痛み。
真っ白な絨毯に顔を埋め、そしてそれを握り締めると、
漸く収まったはずの涙が再び溢れてきていた。寂しいと、辛いと啼く心は、いつまで経っても自分を手放してくれそうにない。

「っ・・・ラウ・・・」

名を呼べば、揺れる視界に現れる、"彼"の存在。
見下ろしてくるのは、常に冷たい、凍りついたような瞳。いつも傍にありながら、自分と彼との距離は、遠かった。
彼が己を見てくれるのあら、どんなことでもしようと思えた。彼を繋ぎ止めるために、薬を与え、命をこの手に捕らえ、そして脅しまがいのことも口にした。彼を得るためならば、手段すら選ばなかったあの頃。
けれど、見える鎖見えない鎖でどれほど彼を捕らえようとも、彼を己のものにすることはできなかった。
命に執着のない彼に、苦痛や死など脅しなどでも何でもなく、大切なものすらなかった彼から奪えるものなど何もなく。
気付けば、捕らわれていたのは、自分。
彼が自分を見てくれなくなることも、彼がいなくなることも、彼に捨てられることも、すべてが己の恐怖となった。彼の心が欲しくて、逆に全てを奪われてしまったこの心。
今、彼を失って、どうすればいいというのだろう。
きっと、何もできない。

―――っ・・・。

思い描く彼の存在を今一度脳裏に描いて、ギルバートは瞳を閉じた。

―――欲しい・・・

それは、ギルバートの中の、真実の心。
何度も抱かれ、慣らされてきた身体が、彼を失ってなお、彼を欲して疼いている。
幻想の中の彼に、ついに耐え切れなくなったギルバートは、無意識のうちにその部分に手を伸ばしていた。
下肢の前、やわらかなふくらみが熱を帯びるそこに、手が触れる。

「・・・っあ・・・!」

爪先でのもどかしい刺激に、ギルバートは思わず声を上げていた。
アルコールに浮かされたままの身体は、しかし萎えるどころか、快楽を抑える術を失くしている。
ましてや、今、ここにいるのは自分だけ。たった一人で、彼の死を噛み締めているのだ。
瞳の裏にあるのは、かつて愛したあの男。彼が欲しい。彼が与えてくれた、あの、脳髄すら焼き尽くされてしまうような、あの快感が―――。

「あ―――・・・あっ・・・や・・・!」

すでに理性の残っていないギルバートは、己の欲のままに下肢を弄び始めた。
今だ下肢にまとわりつく衣服をもどかしげに取り払って。直接に、触れる。かなりの量を飲んでいたにも関わらず、ギルバートのそこは頭を擡げ、刺激を欲していた。躊躇わず、手のひらに包み込む。茎の部分を強く握りこみ、入り口を親指で擦ってやれば、もはや漏れるしかない甘い声音。
そうして、片方の手はシャツの裾へと滑り込んでいく。かつて、彼がそうしてくれたように、肌を撫で、手のひらを這わせて、思わせぶりに胸元の蕾をつまみ上げる。
だが、それでは足りなくて、ギルバートは立ち上がる乳首に強く爪を立てた。
鋭い痛みと共に、その部分からは鮮やかな血の赤が溢れ出し、青年の肌を汚していく。・・・けれど。
肌を濡らすその色を指先に絡めて、ギルバートは嘲笑うように口元を歪めた。
こんな、自分の痛みなど。
かの存在が背負っていた痛みに比べれば、なんとちっぽけなものだろう。
もし、今の自分を彼が見たら、きっと哂うに違いない。
そう思ったとき、歪む視界の中、かれが口の端を歪め、己を見下ろしてきた。そう、その表情だ。かれが、己を見てくれていると、思える瞬間。
彼の視線を感じ、ますます熱を増す身体は、
ギルバートの意思に構わず暴走を続けていた。ただ、快楽が欲しくて、彼自身を強く擦りあげていく。息を詰める。無意識に足に力が篭り、達する瞬間を待ちわびる。
しかし、

「・・・っ・・・!」

ギルバートは唇を噛み締めた。
全身を紅色に染め、熱を持て余したギルバートの身体は、しかしあと一歩のところで、達することができないでいる。
どれほど強く扱いてみても、かつての彼を追うように指先で肌を辿ってみても、
達けないのだ。脳裏の彼に、限界まで追い詰められているはずなのに。
身体の奥にわだかまる熱を吐き出せず、ギルバートの唇がもどかしげに震えた。身を捩る。けれど、どう足掻いてみても結果は同じ。
―――足りない。
ギルバートは己の欲を今一度自覚して、熱い息を吐き出した。
これほどまでに、身体の奥は疼いているのだ、きっと、その部分に直接刺激を加えられれば、すぐに達してしまえる。
そう、普段、彼がしてくれていたように、体内をかき回せば、きっと―――。
しかし、それを己の手で実行するには、勇気がいる。襲い来る背徳感に、ギルバートは顔を歪めた。本来排泄器官でしかないその部分を、己で拓いていく―――。他の誰でもない、己自身が、望んでそこを押し開くのだ。男であるという事実を嫌がおうにも否定しなければならないその行為が、辛い。
だが、それ以上に、快楽を求める心が勝った。少しの逡巡のうち、ギルバートの手は、彼の下肢に伸びていた。握り込んでいた前ではなく、もっと、後ろ。触れれば、キュ、と締まりを見せるその部分。

「・・・っあ・・・」

自分のそこが男を求めて収縮を見せているという事実に、ギルバートは目を瞑った。
顔を、白く長い毛に埋めて。うつ伏せになり、腰を高くあげていく。ゆっくりと膝を広げ、入り口を晒すように、手でも尻を割った。ギルバートの顔は、もはや真っ赤だ。こんな、卑しい格好を、自分がしているなんて。
それも、己が望んで、晒した格好。

「っう・・・」

つぷり、と音を立ててギルバートの指が入り込んでいった。途端、離さない、といわんばかりに締め付けられ、そして奥へと導かれる。
熱い内壁は、それを己で直接感じることで、より一層の熱をギルバートに与えてきた。
息が、あがる。指1本ではすぐに物足りなくなり、眉を顰めたまま2本、3本と指を増やしていく。
指をバラバラに動かし、内部を激しくかき回してやれば、身体の奥でなにか別の生き物が己を犯しているようだった。気持ちの悪さと、それ以上の快楽がギルバートの内部を襲い、ギルバートは顔を歪める。
だが、身体の熱が高まっていくのに比例するように、かの人を求める心は強くなる。もういない存在の、その熱を感じたくて、・・・いつものように、横暴なそれを感じたくて。

「っあ・・・、ラウっ・・・」

歪んだ視界、その先に手を伸ばして―――。
触れた。転がっていたのは、自分が先ほど飲み干してしまった酒瓶。
もう、理性など残っていない。それがなんなのか、どうしてそこにあるのか、そんなことを理解しようとする頭はなかった。
ただ、震える手で、それを掴む。口元に近づけると、ギルバートは躊躇いもなくその口の部分を己のそれに迎え入れた。
ぴちゃぴちゃと濡れた音が、室内に響く。深く、喉の奥まで呑み込むようにそれを濡らして、
やがて、それを下肢へと押し当てる。先ほどまで指で解していた部分、その入り口に―――・・・。

「あ―――、ああっ・・・!!」

ぐっ、と腕に力を込めると、濡らした瓶はずるり、と奥まで滑り込んだ。
人のものではない、その堅く冷たい感触に、ギルバートは一瞬身体を強張らせたが、
それでも力を込める腕を止めることはなかった。そのまま、最奥まで押し込んで。尋常でないほどに、その口を拡げる。
無機質なモノに犯される事実は、ギルバートの心を確かに凍りつかせた。けれど、必死に首を振り、これがあの、求めた存在のものなのだと、己に言い聞かせる。
次第に、強く、激しく瓶を動かせば、最奥にあたるそれの感触がギルバートの脳裏を灼いた。
ただ、己を奥から高めてくれるものが欲しかっただけ。そして、今まさに、
内部を犯すそれは、己の内臓すら押し出してしまいそうなほどにギルバートの身体を侵蝕し、深く深く収まっている。貪欲な内部は、なおも欲しいと収縮を繰り返していた。これを、どうすればいいのだろう。
快楽に溺れる体を持て余して。
もう、望むものはすぐ目の前に迫っている。

「や・・・、あっ・・・!あ、ああっ・・・!!」

裂けるほどに強く酒瓶を押し込むと、漸くギルバートの視界が白く染まった。
ガラス瓶で強引に拓いた奥は血すら流していたが、今のギルバートにそんなことを考える余裕も、気力もなかった。ただ、達する瞬間の、その絶頂感に身を委ねる。声をあげ続けていた唇が震え、指先が痺れた。全身が、雷に打たれたような衝撃だった。それでも、“かれ”を受け入れたときの重さには程遠い。

「ラ、ウ・・・」

力ない腕が、彼の存在を求めて、再び宙を彷徨った。
だが、相変らず己の手は彼には届かない。ただ、面白そうに見下すのみ。

「っ・・・」

やがて、ギルバートはその脱力した身体をそのままに、重い瞼を閉じたのだった。










なぜ、こうなってしまったのか。
最初から、わかっていたつもりだった。彼が近く、己の傍からいなくなってしまうことも、
戦争が終わると同時に彼の死が訪れることも、すべて。
彼のそんな生き様を認めたときに、わかっていたはずだった。なのに、
どうして、これほど胸が痛いのだろう。
彼を、戦場へと行かせたのは、それを許したのは、自分。
離したくなかったのなら、繋げばよかった。鎖をつけてでも、一番大切なものを盾に取ってでも、
甘んじて受け入れたのは、他ならぬ自分なのに。
だが、きっと、

感情は、理屈で片付けられるものではないから。

家に帰ってきた少年は、居間の床に横たわるかれ、に顔を曇らせた。
それだけ、ギルバートという男にとって、クルーゼの存在が大きかったのだと、
今更ながらに、思い知る。
憔悴し切ったその顔は、無理に絶頂を求めたのか青褪めたような色に染まり、すべてを晒した下肢は、白濁した精に汚れている。誰に犯されたわけでもない、きっと、自分でやったのだ。
現実から逃れたい、ただそれだけのために。

「ギル・・・」

口の端を汚す、唾液と涙をそっと指先で掬ってやる。
長い、長い時間、かれを見つめていた少年は、やがて、静かにその背を傾けた。





...to be continued ?






Update:2005/10/16/FRI by BLUE

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