Black Moon



初めて見たのは、紅く染まったような肌の色。
一面に広がる血の海に、裸足で立ち尽くすのは十にも満たない幼い子供。
ただ、恐怖だった。
狂気じみた青の瞳が、こちらに向くのは時間の問題で、
少年は走った。何か、見てはいけないものを見てしまった気がしたから。
己が足を踏み入れてはいけない領域。周囲のすべてが己を拒否する、そんな場所。
もう、二度と来るまいと誓ったのに。
だというのに、・・・どうして、あの光景が頭から離れない!?










―――生きていくことに、価値なんて、ない。



その街に、飛び抜けて幼い男娼がいるというのは、有名な話だった。
一見すれば道端に転がる捨て置かれたままの孤児たちと変わらない、哀れな少年。
だが、厳しい夜の寒さや飢えのため、次々と死を迎えるその中で、
彼が死んだという話はついぞ聞いたことがなかった。

金髪に、青の瞳。育ちの良さを思わせる、類稀れな風貌。
それは、この無法地帯―廃棄コーディ達の墓場―にはどう見ても似つかわしいものではない。
だからこそ、他の誰より目立ちもしたのだろう。

だが、―――その素性と、名を知る者は、いなかった。
そんな謎の多いその子供に、興味本位で近づくものが多かったのもそのせいか。

そして、今も、また。





どさり、とモノが投げ出される乱暴な音が響いた。

「オイオイ、釣れねぇなぁ。折角高い金だして買ってやってんだ、そんくらいサービスしろよ」
「ガキのくせに、調子に乗ってンじゃねぇよ!!握り潰されたいのか、コラァ!」

壁に叩きつけられ、床に崩れ落ちる子供の首を、男の太い手があっさりと掴み上げた。
子供の4倍はありそうな大の男が3人、幼い少年を前に卑下た笑いを浮かべている。勝ち誇ったようなそれに、だが対する子供は相変らず無表情だ。

「・・・取引は成立だ。さっさとヤればいいだろう」
「可愛くねぇガキだなぁ!!ンなんで娼婦なんかやってられんのかよ」
「ハッ・・・それほどお望みならくれてやるぜ・・・壊れても文句いうなよなぁ!」
「っ・・・」

喉元を締め上げられたまま、下肢を襲うのは強烈な圧迫感。
まだ十にも満たない子供の身体にとって、欲に塗れた男のそれは凶器に等しい。簡単に粘膜が裂け、流れ落ちる血の色に、男たちは顔を歪める。
白い肌に、鮮やかな赤。
成長途上の柔らかな肉の感触が、男たちの欲を更に煽り続けていた。
痺れを切らした別の男が、子供の幼いそれにしゃぶりついた。もう一方の男は、両手で鷲掴みにした子供の尻の隙間にペニスを擦り付けている。
男3人、一人で相手をするという狂宴に、
だが少年の壊れたような色の瞳が、高められる熱に煙ることはなかった。

「おら、もっと声出せよ!!」
「っあ・・・!・・・あ、ああっ・・・」

喉笛を強く押さえつけられ、子供はむせ返るように吐息を洩らした。
下肢の、裂けたそこはすでに血まみれ。鉄のニオイが辺りに立ち込める。男たちはサディスティックな性格の一派としてはそれなりに名の通った存在だった。暴力、殺人、麻薬、人身売買、闇に潜むすべての悪を一通り経験してきた男は、今はこの不可思議な少年に夢中らしい。
尻を掴み上げ、引き千切るほどに力を込めてやる。そうすると、凶器を無理矢理収めたその部分からは更に血が溢れてきて、
男はそれを手のひらに絡ませ、少年の白い肌に塗りつける。
別の男は、それを愉しそうに舐め取っていた。
子供の前にも、べっとりと塗りたくられたその色。白かった肌は、たちまちに血に染まっていった。
目が眩むほどの、快楽。
男は額に一筋汗を伝わせると、そのまま子供を抱える腕を抱え直した。

「ヘッ・・・イくぜ・・・ほらよっ!!」
「っあ・・・!あ、あああ―――っ・・・!!!」

どくり、と脈打つ内部のそれが、熱い飛沫を放った瞬間、
かすかに顰められる、子供の柳眉。だが、子供はそれだけの反応しか返すことはなく、
男の悦ぶ声音だけを上げてやる。
どうせ、夜は長いのだ。
いちいち、これからどうなるのか、いつまで続くのか、生きていられるのか、終わればどうなるかなどと、
考えていても仕方がない。
子供は、全身にまで響く下肢の痛みにこっそりと顔を顰め、
脱力したようにその瞳を閉じる。
その間も、男たちは2ラウンド目を始めるべく、体制を入れ替えていた。
もう、力もいれるつもりなどない。
たとえこのまま死ぬ程の目に合わされても、きっと自分はそのまま死んでいくだろう。
視界の端に、己の手足を縛るためであろう荒縄を捕えた。
だが、その時、

「・・・その子を離せ・・・!!」

とうの昔に放棄され、廃屋と化した軍用倉庫に響く、年若い少年の声音。
あまりにも意外な状況に、子供もまた瞳を開けた。
年は自分より数歳年上だろうか?入り口に立つのは、紺の髪を肩まで伸ばした少年。身に着けているのは、ごくごく普通のスラックスと黒のハーフコート。銃を構えながらも、震えるその手。だが、その瞳は燃えるようなオレンジ色で、男たちを睨み据えている。
男たちは一瞬あっけに取られて、
それからあまりのバカバカしさに下品な笑い声をあげた。
ひと目で、わかったのだ。―――彼が、こんな悪の巣窟のような場所に住まう存在ではないということを。

「これはこれは。何の用かな、僕ちゃん」
「その子を離せ!・・・お前たちは、何てひどいことを・・・」

そんな震えた手で、脅しのつもりなのだろうか。
今だ男の手の内にいる子供は、少し前まで意図的に思考を停止していた頭をうんざりと揺らした。
面倒な邪魔が入った、と思う。
相手は、命知らずのバカな少年。この街のルールも知らぬまま、つまらぬ正義感を発揮したのだろうが、それが逆に己をどれほどの危険に晒したかわかっているのだろうか?
案の定、男たちはにやけた笑みを浮かべ、捕えていた子供を床に転がした。
どさり、と再び、鈍く重い音。
床に這い蹲い咳き込むフリをしながら、子供は周囲を見渡した。乱入者は、健気にも男3人と対峙し、今なお彼らを睨み据えている。
・・・少しだけ、好感が持てた。

「こりゃあ、いいぜ・・・強気だな、坊主」
「っ!」

ニィッと笑われ、とっさに少年は引き金を引いていた。
響く銃声。だが、それが誰かを貫くことはなかった。少年の震える手は、正確に的を捕らえることはできなかったのだ。
そもそも、その銃は彼の持ち物ですらなく、この街ではさほど珍しくもない、そこここに落ちている拾いものだったし、人を殺める武器など使ったこともない少年が撃ったのだからそれも当然。
悔しげに唇を噛み締めて、もう一度少年は銃を構えた。
今度こそ、真っ直ぐに狙いを定めて。
だが、今回は男のほうが早かった。

「・・・くっ・・・!!」
「へっへ・・・楽しませてくれるぜ。アイツよりよっぽどいいや」
「威勢のいい奴は好きだぜ。・・・ホラ、啼いてみせろよ・・・。アイツを助けたいんだろっ!?」
「っあ、や、めろ・・・!!」

少年は暴れた。だが、大の大人の力に、所詮子供が叶うはずもない。
そもそもここは、遺伝子の操作ミスのため、人間としてはあまりに外れた存在が廃棄を逃れて集まる場所。
普通のコーディネイターが、そんな彼らに果たして叶うだろうか?

「ぐっ・・・」
「オイ、もしかして初物かよ・・・運がいいぜ。じっくり可愛がってやるよ」
「あ・・・やめ、んっ・・・!!」

びりり、と布の引き裂かれる音が辺りに響いた。
男たちは、今は乱入してきた少年のほうに意識を傾け、己のほうを気にしている様子はない。
まったく、愚かなものだと思う。これが、"人間"。
己が欲を満たすためならば、周囲すら目に入らない。子供は手を伸ばし、衣服の裏のポケットに忍ばせていた金属製のそれを手に取った。無造作に投げる。風を切る音が、微かに鳴った。そうして。

「や・・・!」
「・・・っぐあああああっ!!!!」

鼓膜が破れる程に激しい叫び声が、辺りに響き渡った。
少年を掴んでいた手が外れ、少年は激しく咽た。だがあまりに唐突のことに驚く男たちは、そんな少年など見ていなかった。
男の後頭部に突き刺さった銀のそれは、ナイフ。
飛んできたその先を見やった仲間達は、だがその瞬間視界を血の色に染めた。

「ぐぅっ・・・」

途端に、周囲は血の海が広がった。
振り返った男のその胸を、先ほどまで床で這い蹲っていたはずの子供の腕が貫いたのだ。
咽せ続けている少年の頬に、血が飛び散る。見たこともないであろう血の濃さに、少年の瞳が凍りついた。

「くそっ、このガキ・・・!!!」
「・・・・・・」

一人残された男は、しかし身のこなしの素早い子供に懐に入られ、あっけなく血溜まりに倒れ込む。
ものの5秒ですべてを血に染め上げた子供は、

・・・血の海に、一人。

立ち尽くしていた。その、冷たい青の瞳もそのままに。

ところどころ覗く肌には、返り血に染まり。

そうして、その姿は、

・・・少年の記憶にあるそれと酷似していた。

少年は、動くこともできなかった。
身体が石になってしまったかのように、硬直し、動かない。
ただ、立ち尽くすその刃のような印象を残す幼い子供から、目が離せないでいる。
ふと気付くと、彼がこちらへ足を向け、手を差し延べていた。
自分より、年下のくせに。
呆然と、彼を見上げる。

「・・・こんなところに、間違っても来るんじゃない。ここは、アンタの住む場所とは違うのだから」
「あ・・・、僕は・・・ただ」

何を、しようとしていたのか。
視界の先に落ちている銃を見つけて、そして記憶を辿る。
目の端に偶然映った、子供が連れて行かれる姿。
それを、やめさせてやりたかっただけだ。
・・・だが、どうして、こんなことに―――・・・

「君、は・・・」

整ったその容貌を、見つめた。
きっと、こんな場所にいていい存在じゃないはずだった。
育ちの良さを思わせる、高貴で類稀な風貌。
それが、なぜこんなところで、手を血に染め、身体を売る生活をせねばならないのか。
間違っているのは、きっとこの子だ。
ましてや、この子は十にも満たない幼い子供。

「君も、一緒に」
「残念ながら僕は、“外”の住人じゃないからね。さようなら、お人好しさん。アンタだけは、見逃してあげるよ」

気さくな口調ながら、まったく人を寄せ付けない、冷たい声音。
少年は、胸を打たれた。そのまま背を向け、立ち去る彼を、どうしても立ち止まらせたい。
だが、言葉が見つからなかった。何も、出てこないまま。

「待て・・・、君の、・・・」
「ああ、名前?あなただけにはトクベツに教えてあげる。助けてもらった御礼に」
「っ・・・」

滑りこむようにして、目の前に来た少年の、
その青がどこまでも澄んでいることに、初めて気付いた。
顎に手をかけられ、息を詰める。
もう片方の指では、頬に付着していたあの男どもの血をふき取られる。
固まる少年に、子供はスッ、と唇を寄せ、呟いた。

「ラウ、だよ」





end.






Update:2005/11/01/FRI by BLUE

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