on the sea...



生まれた場所は、キレイな湖と緑が茂る、そんな場所。
子供の頃から、自然に囲まれ、その美しさに目を奪われていた。
少なくとも、幼い頃はそう思っていた。
それが本当は偽物だったと知ったときも、ホンモノと対して変わりがないと思っていた。
プラントに生まれ、プラントしか見たことのない人間は、きっと誰もがそうだろう。

だからこそ、彼の故郷の美しさに、心を奪われた。



それは、コーディネイターにとってはひどく感慨深いものだった。
生まれも、その生活環境も"自然"とは程遠いコーディネイターという存在。
幼い頃から、自分たちは進化した存在だと聞かされてきた。
自らの手で、新たな道を切り開いてきた、『調整者』。
けれど、心のどこかに、地球という母なる大地を懐かしむ気持ちが確かに存在する。
どこまでも続く、水平線の彼方。
人の手によるものではない、空の色や風の音。
すべて感じたことがあるようで、まったく感じたことのない感覚。
身体を襲う地球の重力すら、どこか心地いいように思えて。

「ギルバート?」

声をかけられ、ギルバートはハッとしたように呼ばれた声のほうを振り向いた。
ラウ・ル・クルーゼ。
ナチュラルでありながらプラントに上がり、コーディネイターと偽って生活を続ける青年。
彼とは、カレッジ時代からの同僚であるのだが、
そんな長い付き合いのギルバートでさえ、彼の口から聞かされるまでナチュラルだとは思わなかった。
それほどに、彼は優秀だったのだ。
驚くほどの若さで、研究室への配属を許可された少年との出会いを思い出す。
その金の髪と瞳の色に、どれほど心を奪われたか。
クルーゼは、ぼんやりと水平線を見つめていたギルバートに、怪訝そうな目を向けていた。
ギルバートは苦笑する。

「なんでもないよ。・・・ただ、綺麗だな、とね」

幼い頃によく遊んだ、湖を思い出す。
当時はそれ以上ないほどキレイだと思っていたのに、
本当の"自然"というものは、これほどまでに心を打つものなのか。
はっきりと覚えていたはずの記憶すら、色褪せる。
深い空の色や、真っ白な雲。それが水平線に落ちかける夕日に染まり、見事な色を映している。
ここは、中立国、オーブ。
クルーゼの故郷でもあるこの場所に、ギルバートは目を奪われていた。

時折寄せてくる波が、素肌の足をさらっていく。
不意に、クルーゼの手に引かれていた少年が、何かを見つけたかのように瞳を輝かせ、先のほうに走っていった。
まるで、現実と完全に切り離されたかのような光景。
これほど美しい世界の、しかしそのどこかでは毎日とでもいうかのように起こる、
ナチュラルとコーディネイター間の紛争が嘘のようだ。

「ああ、本当に地球は綺麗なものだ。この裏で争い事が起こっているとは思えないくらいに、な・・・」

ギルバートはクルーゼの顔を見やった。
まるで自分の心を読んだかのような言葉を紡いだクルーゼは、
やはり先ほどの自分と同じように、視線を水辺で遊ぶ少年のほうへ向けていた。
皮肉げな口調の裏で何を考えているのか、
ギルバートさえも、たまにわかりかねることがある。

「・・・どうして、ここに来た?クルーゼ。この地は、君にとって、恨んだはずの場所だろう」

偽りの愛と、そして絶望。
彼を構成するマイナスの感情が、すべてこの場所から来ていることを、ギルバートは知っている。
この海のすぐ傍に、数年前彼の手によって没落した、フラガ家の跡地があった。
その絶望故に、自ら手にかけた彼の父が眠る場所など、
クルーゼにしてみてば、考えたくもないことではなかったのか。

「ギルバート。・・・私は、別にこの地を恨んでいるわけではない。ただ、この地を穢す者を、憎んでいるだけだ」

ふっと、クルーゼの視線が緩んだ気がした。
例え痛みと悲しみの記憶しか残っていない過去でも、彼には懐かしむ余裕があるのだろうか。
クルーゼの穏やかな表情とは正反対に、
心なしかクルーゼを見やる青年の顔が苦しげに歪む。

「・・・クルーゼ」
「そんな顔をする必要はない。・・・私はただ、来たかっただけだ」

先日、秘密裏にロールアウトされた、プロトタイプ・ジン。
テストパイロットであるクルーゼは、その技術がどれほどのものかを身に染みてわかっている。
それに加えて、日々報道される、ブルーコスモスのテロ活動。
プラント独立を目指す政治結社、自由条約黄道同盟―Z.A.F.T.のメンバーでもあるクルーゼは、
これからそう遠くない未来、必ず戦争が始まってしまうことを、
一種のあきらめと共に理解していた。
遠くから、少年の楽しそうな声が聞こえてきた。
それに気付いて、クルーゼは苦笑と共に、ギルバートを見やる。

「・・・戦争が始まる前に、一度見ておきたかったからな、この場所を」

夕日に照らされて、海が鮮やかなオレンジ色に輝いていた。
時が止まってしまえばいいと、ギルバートは思う。
世界で一番美しい光景が、今目の前にある。そうして、傍には自分にとって大切な者達。
日々に追われ、頭を悩ます事態から離れられるここは、
ギルバートにとっても安らぎの場所だ。
だが、現実は夢ではない。

「・・・どうするんだ、君は」

視線を海に戻し、ギルバートは静かにクルーゼに問う。
ZAFTの一員として名を上げているクルーゼだが、ギルバートの内心は複雑だった。
戦争が始まれば、嫌でも駆りだされる立場の彼。
そうしてクルーゼは、命じられれば何食わぬ顔でそれに応じ、
そして戦場に出るだろう。

「どうするも何もないさ。戦場に出る。ただ、それだけだ」
「だが・・・、君は、もう苦しむ必要などないだろう。なぜわざわざ、荊の道を歩む」

本当に、心配だった。
ただでさえ、刻々と命を削る身体で。
戦場などに出れば、さらにその命を縮めるに違いない。
いや、それ以上に―――。今更ながら、ギルバートの胸の内に、言いようのない不安がよぎる。
クルーゼの心は、嫌というほど知っていた。
彼の心を動かすことは、自分には不可能だ。
彼の問題は、その生き様の問題であって、誰が口を挟めるものではないから。
だが、だからこそギルバートは、唇を噛み締めた。
黙り込んでしまった青年に、クルーゼは静かに声をかけた。

「ギルバート・・・。私は、見てみたいのだよ」
「クルーゼ」
「人が自ら堕ちていく様を。その間近で。私にとってこの戦争は、それだけの価値しかない。もちろん、君達は違うだろうが・・・」

ふっと、手を伸ばされる。
流れるような動きに引き込まれ、気付けばクルーゼの腕の中にいた。
そうして、掠めるように奪われる唇。
ギルバートは驚いたようにその暁の色の瞳を見開いた。
不意打ちのキスに、咎めるようにクルーゼを睨む。
だが、クルーゼはからかうように笑うだけ。

「・・・君は、私より年上のくせに、気弱だな」
「っ・・・、馬鹿なことを・・・」

微かに濡れた唇を、手の甲で拭う。
微かに頬を染めるギルバートは、ここが夕日の下でよかったと心の中でため息をつく。
クルーゼの胸に手を当てて、彼を押しやろうとしたが、
存外に強く抱かれた身体はクルーゼから離れることができずにいた。

「クルー・・・ゼっ・・・」

レイもいるのに、と呟くギルバートに、しかしクルーゼはそのまま彼を抱いたまま。

「・・・君は、本当に不思議な男だな。どうして、こんな私などに心を傾ける?」
「そ、れは・・・」

本当に、どうして、と自分が聞きたいくらいだった。
年下のくせに、常に人を見下したような顔。今だって、自分のほうが彼に翻弄されている。
だが、初めから惹かれていたのかもしれない。
コーディネイターの中にあって、唯一瞳の中に自然の色を宿す彼に。
凍りついたような青の瞳で、こちらを見据えたその視線にも。
だからこそ、こうして今でも、彼の傍にいるのだと、
今更ながらギルバートは思う。
彼の支えになってやりたかった。
父親に疎まれ、母親もいず、唯一の血縁は行方不明。
絶望に染まる彼の運命を、少しでも癒してやれたなら―――。
だが、終わりの時は、もうすぐそこに迫っている。
それが痛かった。
彼が、自分の元を離れる日が、恐かった。

「クルーゼ・・・・・・」





「ラウ、ギル、これ、あげる!」

唐突な少年の声に、二人は振り向いた。
クルーゼとギルバートの間に差し出された小さな手。
その上に、薄桃色の、こぢんまりとした貝殻が、たくさん積まれていた。

「取ってきてくれたのかい?」
「うん」
「ありがとう。綺麗な色の貝だね」
「これはまた、珍しいものを見つけてきたな、レイ」

あまり見かけないその貝は、オーブの中でもごく一部の海岸でしか見つからない種のもの。
クルーゼが頭を撫でてやると、少年は嬉しそうに頬を染める。
それがひどく幸せそうで、クルーゼの内心を少しだけ痛ませた。
いつか手放さなければならなくなる、その日を案じて。

「―――そろそろ、日没だな。帰ろうか」

ギルバートの言葉に、ああ、とクルーゼはうなずいた。
少年の手を取り、3人、並んで名残惜しむように海を見つめる。
紫がかった夕焼けの空の色を、ギルバートは心に焼き付けようと思った。
例えいつか、この景色が失われしまったとしても。

「また、いつかここに来る?」
「レイ。・・・お前も、ここが好きなのか?」

こくこくと頭を縦に振る少年に、クルーゼとギルバートは破顔する。
だが、争いは始まってしまった。
この中立国も、近い将来、必ず戦場になる。
そうなればきっと、この美しい景色も炎に染まり、そして無残な姿を晒すのだろう。
どうして、人間はこうも愚かなのか。
唯一何も言わない地球は、きっと悲鳴を上げているに違いない。
クルーゼは、ぽんぽんとレイの頭を撫でてやった。

「そうか。なら、また来れるさ」
「ホント?」
「ああ」

静かに笑みを傾けるクルーゼに、今度はギルバートのほうを見上げて。
ギルバートもまた、優しい笑みだけをレイに向けた。
本当に、そうであればいいと願いながら。

並んで歩く3人の背が、暁に染まる。
いつかまた、こんな静かな刻が来るのを夢に見ながら、彼らはただひたすら、未来へと歩むのだった。





end.





Update:2005/05/04/FRI by BLUE

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