追憶



風が、吹いていた。

あの時と同じような風だった。
季節は春。風は温かく、そして少しだけ冷たい。

指を絡め、組み敷いた存在の口の端から洩れる微かな息遣いに、
少年はゆっくりと唇を離す。
目を閉じていた彼が、不意にその美しい瞳を静かに持ち上げた。

「・・・レ、イ、・・・」

真っ白な肌に、微かに朱をはいて。
色鮮やかに刻まれた首筋の痕に、レイは再び唇を落とす。
滑らかに肌を辿るそれにすら反応し、震える身体を押さえられずにいる青年は、
少年の手に捕らえられたままの下肢をはしたなく濡らしていった。

素肌に触れる硬質な石が冷たい。
無情なその石は、何を語ることなく2人の行為を見つめている。
思いがけなく手をついた石床が、ぬめりを帯びているのに気付いて、
青い空の下、下肢を開かされた青年は羞恥に唇を噛み締める。
再び目を閉じてしまった彼の目蓋に口付けて、そのまま少年は彼の先走りに濡れた手を下肢の奥に添えた。
既に先ほどの行為でひどく濡れたその場所は、抵抗なく口を開閉させ、
すぐにでも呑み込んでしまいそうだ。
指先を絡めていた片手を外し、青年の肩の後ろで支える。
ぐっと縮まった距離感に眉根を寄せる彼は、しかしそのまま何を言うことなく、
頬をくすぐる少年のさらりとした髪の感触を追っていた。

「っ、つ・・・」

少年が身を進めるたびに、触れては離れていく感触。
下肢の奥はこれ以上ないのでは、というほど重い感覚に冒されているというのに、
ギルバートは頬に風を感じる。
熱を冷ますような、そして煽るような風だ。
身体の奥が、痺れるような熱を覚えた。
ともすれば、意識すら掬われてしまうのではないか。
下肢からの強烈な刺激に揺れる身体を止められない青年は、
頭の片隅でそんなことを考える。
どこか深淵に落ちていきそうな浮遊感を覚えてとっさに縋りつくように手を伸ばす。
宙を切るだけのそれを、しかし少年の腕に捕らえられ、
青年はその背に縋った。

「っ・・・ぁ、は・・・あっ」

もはや抑えられるものではない甘い声音が、
誰もいない空の下、風に乗って少年の耳に心地よく響く。
声に混じる吐息も、下肢から響く濡れた音も、彼の熱を煽るものでしかない。
冷たく硬い石と、腕に抱いた愛しい人の温もり。
それを意識して、レイはふと、逝ってしまったあの存在に想いを馳せる。
同じように大切だったのに、何もできなかったあの人に。

「・・・あ、・・・」

剥き出しの肌同士を擦り付けるように腰を揺すられて、
思わず青年は声をあげた。
濡れた肌の感触と洩れるしかない吐息の淫らさに、眩暈すら感じる。
熱に浮かされた身体とは裏腹に常に熱を持たない石床が、
幾度となく青年を現実に引き戻す。
その時、
ふと正気に戻った二人の間を、一陣の風が通り抜けた。





冷たいくせに、それでいてどこか暖かい、

そんな風が。





「笑われてる」
「・・・馬鹿にされてるよ。そんな奴だろう?かれは」

青年の言葉に、確かに、とレイは笑った。
身を起こし、風に乱れた髪を指で掻きあげる。そうして見下ろす。
曇りひとつない真っ白な石の上に、乱れる紺の髪。
中途半端に脱がせた衣服と、体液に汚れた石畳。空は青空、天気は晴れ。
誰も見ていないようで、全てに見られているような場所。
レイが下肢を少し揺らすだけで、
青年のオレンジ色の瞳が快楽に煙る。
腕の中の存在の全てを感じたくて、再び彼の柔らかな唇に触れると、
誘うように互いの舌が触れ合った。
意識すら奪うような深いキスに、溺れていく。
ぞくりと背筋に震えが走った。もう、絶頂はすぐそこだ。

「・・・あ、レイ・・・っ」

焦らしているからか、一向に動こうとしない少年に、
ギルバートは先を促すように彼の名を呼んだ。
自分からこうして求めるのは、何度しても慣れるものではない。
今だって、羞恥に唇を噛み締める。
上気しているであろう顔を見られたくない。
ギルバートは少年の首に絡めたままの腕に力を込めた。
少年の肩に顔を埋める。

「ギル・・・」

耳元で囁くような声音。
トーンを落としたそれに感じる自分を止められない。
少年の指が、ゆっくりと二人の接合部を撫でていった。それを意識して、思わずそこに力を込める。
途端、強く奥を貫かれ、ギルバートは嬌声をあげていた。

「はっ・・・!あ、・・・んっ・・・」

一層狭まったそこを強く擦られ、その快感に眩暈を覚える。
腰をギリギリまで引かれた瞬間、その喪失感に身体が震えた。
足りないのだ、それでは。
疼く体を止められない。満たして欲しいと願った。声に出してまで望んだ。
もう、ここがどこかということも、
どうしてこうなってしまったのかさえも、頭にはない。
背に感じる石の感触さえも、快楽を煽る以外の何物でもなかった。
少年が腰を進める度に、液体の弾ける音が耳を叩く。

「あっ・・・、レ、イ・・・も・・・、」

少年の腹部を、ギルバートの先走りが濡らしていた。
レイは、汗に張り付いた青年の額の髪を払ってやった。キスを落とす。腰を支える手に力が篭る。
激しさを増す突き上げに揺れる身体に、ギルバートは瞳を閉じた。

あとは、波の音しか聞こえなくなった。















英雄ラウ・ル・クルーゼの墓は、フェブラリウスの町の外れにあった。
プラント市民やザフトにとっては今でも英雄の名で呼ばれる彼だが、しかしこの墓に誰も来ることはない。
そもそも、この墓石の下に何かがあるかというと、
何もあるはずがない。彼は資源衛星ヤキン・ドゥーエ宙域で散ったのだ。
公式の彼の墓は、他のザフト軍人達と同じ場所に、
その戦功を称える墓碑銘と共に建てられているだろう。
だが、そのどちらにも、彼の遺物が残されているはずもないことは確かだ。
ならば、彼の遺志が宿るこの墓のほうが、
より彼の墓らしいと思うのは間違いだろうか。

「レイ?」

名を呼ばれ、はっと我に返った。
持ってきた花をギルバートに渡し、既に枯れてしまっていた手向け花を手に取る。
この墓に、枯れた花は似合わない。

最後にここに来たのは、まだ戦争が終わる前。
あの時は三人でここに来た。花を選んだのは彼だった。
紫の、トゲのある花。
名前は忘れてしまった。ただ、彼はこれが自分への餞なのだと言っていた。
目前に迫る死を、彼は受け入れていたのだろう。

それは、どうあがいても抗えない運命。
プラントのどれほどの技術を駆使しても、彼を蝕む病魔を防ぎきることはできなかった。
誰も、何もできなかった。
それを、皮肉げに哂って受け入れていた。

この墓は、彼自身が建てた、彼自身の墓。
例え時が経ち、ここを知る者が1人もいなくなっても、それだけは変わらない事実。

「っ・・・」
「ギル?」

花を手向けていたギルバートが、小さく呻いた。
慌てて彼のほうを見やると、青年は花を取り落とし、指を押さえている。

「刺したのか?」
「ああ・・・。大したことではないよ」

大したことではない、というわりにしきりに指を気にしているギルバートに、
少年はその手を取ると、刺したという部分を見た。
ただの薔薇の花のトゲではあるのだが、この紫の種の棘は普通よりも長く、深く刺さればさぞかし痛いだろう。
覗き込む少年に、ギルバートは大丈夫だと告げるのだが、
そう言う間に指先には血が溢れ、少年は呆れたようにため息をついた。

「だから、危ないから気をつけろって言われたのに」
「・・・すまない・・・っ!?」

少年が、いきなりギルバートの指先を口に含み、あわてて青年は身を引いた。
至って淡々と指を舐める彼に、一気に熱があがる。

「な、レイ・・・っ」
「舐めておいたほうが、治りも早いだろう」
「・・・っ」

羞恥に身を竦めるギルバートがレイから逃れようと身を捩る。
だが、後辞去った青年の踵が、運悪く墓石に躓いてしまい、ギルバートは後ろにバランスを崩してしまう。
慌てて少年はギルバートの背に手を伸ばした。
だが、さすがにまだ成人して間もない少年が、大の大人が倒れ込もうとするのを支えられるはずもなく。
唐突だったこともあり、二人はそのまま墓石の前に倒れ込んでしまった。
もちろん、とっさに取ったレイの受身のおかげで、大事にはならずに済んだのだが。

「・・・まったく」

眉間に皺を寄せた、少年らしからぬ咎めるような表情に、
ギルバートはすまない、と頭をうなだれた。
今の衝撃でまた溢れてしまっていた血を、今度こそ舐め取って、レイはその部分を布で縛ってやる。
今度は、さすがにギルバートも大人しくしていた。

こんな天気のいい青空の下で、しかも他人の墓の前で、
何をやっているのだろうと少年は思う。
ギルバートの衣服は、倒れ込んだ衝撃で乱れ、首元のボタンが外れていた。
指を縛り終わり、ふと顔を上げた少年に、晒された彼の首元が目に入る。
ギルバートは、不可解な、そして多少怯えたような視線で少年を見つめていた。
倒れ込んだ青年の上に乗り上げるような、そんな体制。
何か身体の中が疼くような気がした。

「・・・・・・レイ?」

固まるレイに、ギルバートは声を掛けた。
だが少年は、それを無視して彼の身体を抱き締める。
起き上がろうと上身を起こしていたギルバートは、またもやその背を石床に押し付けられてしまった。

「な、・・・レイっ」
「―――風が、」

慌てるギルバートに対し、無関係なことを告げる少年に、
ギルバートは眉根を寄せた。
しかし、自分の肩に顔を埋める彼の熱を感じて、ギルバートは何も言えなくなる。
頬を、ふいに風が叩いた。
ギルバートは顔をあげた。あの時と同じ風だった。




そう、あの時、

友、ラウ・ル・クルーゼの死を感じたときに、吹いていた風と。




「・・・見られているね」
「きっと、ね」

顔を上げた少年は、そのままギルバートの後頭部を支え、唇を重ねた。
ただ触れ合うだけではない、深いそのキスに、
しかしギルバートもまた、その口付けを受け入れる。少年の背中に、両腕を回す。
絡む舌を丁寧に舐められて、気が遠くなる。
舌先を軽く食まれ、痺れるような快感が青年の脳を焼いた。
理性が、溶け出すような甘い口付けは、長く、長く続いていた。

少しだけ、背徳の味がした。















「・・・本当に、君達には叶わないな」

体力の落ちた青年の代わりに今度こそしっかりと花を飾っていたレイの背に、
目を覚ましたギルバートはそう声をかけた。
結局あのまま少年に抱かれてしまったギルバートは、
つい先ほどまで意識を失っていたようだ。
その間、レイは行為の後始末をしていたり、墓の掃除をしていたのだのが、
気付けば日は傾き、
夕焼けが映える時間になってしまっていたのだ。

レイは苦笑する。
毛布代わりにしていた彼の上着を着せ、足元がふらつく彼を支えてやる。
改めてクルーゼの墓石の立った2人に、再びあの風が吹いた。

供えられた紫のバラに、彼の面影が重なる。

「・・・かれは、幸せだったのだろうか」

唐突な、ギルバートの呟き。
できることなら、かれをあんな寂しいところに置きたくなどなかった。
せめて残りの命だけでも、幸せであってくれればと願った。
だというのに、戦争に出ようとするかれを止められなかったことを、ギルバートは今でも悔やんでいる。

「心配するな、ギル。きっと彼は幸せだったさ」
「・・・レイ」
「黙って死を待つような人じゃなかったろう?落し前は必ず自分でつける人だった」
「ああ・・・、そうだね」

だから、彼の望みを容認したのだったと、
ギルバートは今更のように思い出す。
彼の言うとおり、世界が滅ぶのならそれでもいいと。
それも一つの道だと、容認したのは自分だったと思い返す。
結果的に世界が滅ぶことはなかったが、
このままでは確実に、彼の言うとおりの道を辿るだろう。

では、この世界を生き残った自分は?
彼の心を唯一理解し、そうして彼と共にあった自分たちは、これからどうするべきなのだろう。
また、彼と同じように世界の愚かさを哂い、その破滅を黙って見ていればいいのだろうか。

「・・・私は、かれと一つの賭けをした」
「・・・ギル」
「この世界が、本当にかれの言うとおり憎しみの目と心と、引き金を引く指しか持たぬ者たちのものならば、必然的に世界は滅びるだろう。それは誰が足掻いたとて無駄なこと。だが、私は敢えて足掻いてみたいのだよ」
「・・・『ならば持てばいい。他者を知り、理解しようとする声を』」
「そう。
 ・・・ついてきてくれるね?いや、・・・ついてきて欲しい。君に」

真っ直ぐに自分を見つめてくるギルバートに、
レイは苦笑した。
ゆっくりと、その手を取った。身を屈める。顔を近づける。

「俺が、あなたを裏切るはずがない」

ほっそりとした指先に、少年は唇を落とした。騎士の礼。
今は失われた、古き忠誠の誓いの形を、ギルバートは黙って受け止めた。

「そろそろ、帰ろうか」
「ああ」

瑞々しい花を手向けた墓に、背を向ける。
その背を、あの風が吹き抜けていった。冷たくて、それでいて暖かな風。
ギルバートと共に歩む少年は、
もう一度だけ、名残惜しげにその背を振り向いた。





end.





Update:2005/05/04/FRI by BLUE

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