Like You -2-



あの、血のバレンタインから1年。
実に24万という数の同胞が失われたあの事件は、対立を深めていたナチュラル、コーディネイター間の緊張を一気に高めた。
ついに火蓋が切って落とされるな、とモニタを見ながらごくごく軽く言うのは、目の前の金の髪の青年。
だが、それを聞いていた少年は、胸に去来する漠然とした不安に瞳を揺らした。
冷静で、淡々としたその言葉。
だが、裏を返せばそれは、彼の存在の、戦場への出撃を意味している。
ザフトのトップガン、ラウ・ル・クルーゼ。
その存在は、どこの戦場でも歓迎されるだろう。
だがそれは、同時に彼の命をも危うくし、本来コーディネイターではない彼の身体に多大な負担を与えるのだ。
いきなり、胸の不安が頭の中で具体化され、少年はハッと青褪めた。
大切な"彼"を失う恐怖。
しかもそれは、なおも悪いことに、もしかしたら、という曖昧なものではないのだ。
"戦争が始まる"―――。それは、ひとえにに"彼の存在"が失われてしまうことを意味している。

「・・・・・・ラウ・・・っ」

言葉が出なかった。ただ、すべての想いを込めて、彼の名を呼んだ。
行って欲しくない、だとか、死んで欲しくないだとか、離れたくないとか、そんな心。
だが、言葉に出来なかった。
そんな自分の望みが、叶うはずもないことをわかっていたから。
彼が戦場に行くことを、どんなに哀しくとも受け入れるつもりだったから。

「レイ・・・」

俯く少年に、クルーゼは苦笑し、手を伸ばした。
自分の元へと引き寄せるその腕が愛しい。少年は導かれるままに彼の傍へと近づく。

「・・・ギルバートを、頼んだぞ」
「・・・・・・どうして、そんなことを今・・・言うんだ」

大事そうに胸に引き寄せられて、そのままそんな言葉を紡ぐ青年に、
少年は瞳を逸らす。
なにか、もうすぐに離れてしまいそうな空虚さ。彼と確実に触れているはずなのに、どこか遠い。
ぎゅっと彼のシャツを掴んだ。しがみ付くように、彼の熱を感じて。
クルーゼは小さく笑った。

「ギルバートがいなくて、二人きりの日など、これからそうないだろうからな」
「・・・っラウ」

そう、今は、たった二人きり。
彼らの間には、普段互いに大切に思うギルバートという青年が存在し、家族に近い関係が築かれていた。
もちろん、クルーゼとレイの間にも、育ての親と子という、変え難い関係がある。
それ以上に、・・・遺伝子の繋がりも。
レイにとって、クルーゼは恩人であり、父であり、一番大切な存在だ。
だからこそ、彼が居なくなる不安に、身を浸した。
とっくの昔から、わかっていたはずの未来。受け入れていたはずの運命。
だが、いざこうして目の当たりにすると、ひどく脅える自分がいる。
少年は何も言えず、ただ彼のぬくもりを追った。
今は、確実にここに"在る"のだということを、身体で感じるために。
そしていつか、彼が"居"なくなっても、自分の心の"中"で感じられるように。

「どうした・・・今日はなんだか子供みたいだな」
「・・・・・・子供だよ。俺はまだ」

普段はもう大人だと言い張る少年の、その言葉に、クルーゼは困ったように彼の頭を撫でた。
その優しさにすら、涙が溢れた。彼を失うのが、これほど辛いとは。
たった、二人きりの空間。
クルーゼが、あやすように彼の身体を抱き、胸に引き寄せた。
ぐっと力が篭る。少年はたまらなくなり、自分もまた、己を抱く男の背に両腕を回し、しがみ付いた。

「・・・レイ・・・?」

クルーゼは、多少戸惑ったように胸に顔を埋める少年を見下ろした。
少年は相変わらず、じっと彼の温もりを追っている。
自分の背を抱き締める手の強さに、クルーゼもまた何も言えずに、ただそのまま時間が過ぎていく。
長いような、けれど短い時間だった。これから、会えなくなることを考えれば。
やがて、レイは小さく呟いた。

「・・・・・・抱いて」

クルーゼは何も言わなかった。
ただ、少年を抱く腕に、力を込めた。静かな夜だった。モニタを消せば、静寂が訪れる。
男の肩に顔を埋めて、レイはただ、自分を抱く存在の熱を追う。
瞳を閉じれば、ただ彼を想う心だけが、自分の中に訪れた。
大好きな、彼を想う心だけ。

「―――俺を、貴方のものに、して欲しいんだ・・・」

二人の間に、闇が落ちた気がした。





















「・・・どうした?」

ボーッとして箸の進まない少年に、クルーゼは声をかけた。

「あ、いや、なんでもない」

はぐらかすように笑って、少年はスプーンを手にすると、先ほど自分とクルーゼが作った料理を口にした。
短時間で作ったためにあまり豪奢なものではないが、
オーブンで焼いた魚介のドリアと、野菜スープ。先ほど鍋に放り込んでいたのはこの具だ。
なおも気がきくことに、レイはワインまで用意していた。
疲れの出た身体に、程よいアルコールがクルーゼを癒していく。

「それにしても・・・、まったく、マメな奴だな、お前は」
「そう?」

苦笑したような声音を投げかけるクルーゼに対して、少年は冷静だ。
クルーゼがそう評するこの料理は、何を隠そう、実は半分の材料がレイの持ってきた「残り物」というヤツである。
もちろん、折角の食べ物を残すのはよくないと、過去に少年に教えてきたのはクルーゼで、
実際そういう細やかな配慮は、この少年の得意とするところだったから、
クルーゼがとやかく文句をつけることでもないことではあるが、
それにしても久々に帰ってきた養父親に昨晩の残り物を出すとは、なかなか神経の図太い奴だと思うのだ。
しかし、暗にそんなことを告げるクルーゼに、レイは顔色一つ変えず、
手元の料理を口に運んでいた。

「嫌なら、食べなくていいけど」
「別に、嫌とは言ってないだろう」
「それに、ラウが帰ってくるって知ったのはついさっきだよ。用意できなくて当たり前。」
「・・・まったく、お前には叶わんな」

別にそれほど責めるつもりで言ったわけでもないというのに、
ごくごく正論で返されて、クルーゼは苦笑した。
誰に似たのか、外では無口で通っているわりに、1つ言えば10返ってくるような少年。それも隙のない正論でだ。
確かに、元々急遽決まった帰宅であったし、何よりもし自分がここにいなければ、
今夜の彼は、今はいないあの青年の家で、一人過ごしていたはずだ。
ならばもちろん、残り物で済まそうという気が働いてもおかしくないだろう。
それにしても、とクルーゼは内心笑みを浮かべた。
残り物が材料だというのに、これほど美味な料理を作れるようになるとは。
クルーゼ自身、彼の様子を見ていなければ、きっと残り物だなどとわからなかったろう。
4ヶ月という空白の時間に、またもや大きく成長を遂げた少年に、
クルーゼはなんともいえない感慨を覚える。
無意識に、少年を見つめていた。
少年は、最初は気付かないまま黙々と食べていたが、ふっと顔を上げ、驚いたように目を見開く。

「・・・何?」
「いや。」

クルーゼ自身、よくわからなかった。
だから、ただ笑って、その場をやり過ごし、食事を再開する。
家に帰ってきて、少し気が緩んでいるのだろうか。

「・・・それより、どうなってるんだ?前線は」
「ああ・・・」

レイの言葉に、クルーゼは少し思案するように眉を寄せた。
手を伸ばして、飲みかけのワイングラスに口をつける。
・・・前線。今はこうしてプラントに帰ってきているが、数日前までクルーゼは地球にいた。
地上での作戦の結果は、まずまず。アラスカ本部ではザフト側が甚大な被害を被ったものの、地球にいる連合軍を宇宙に回さぬための、パナマのマスドライバーは潰すことができた。
となれば・・・、後は、月の地球軍への攻撃がメインとなるのも当然か。
本来ならばまだ地上での作戦は残っていたはずなのだが、
急に本国へ呼び戻されたクルーゼは、思案顔でグラスの中の液体を揺らす。
勿論、個人的には、切れかけていた薬の調達が出来たため、悪い話ではなかったが、
地上戦力を大幅に減らしての、この宇宙での作戦展開。
やはり、不審を感じざるを得ない。

「・・・終戦に一歩近づいた、かな」
「・・・そう」

終戦。それは、このナチュラルとコーディネイターとの、対立の終結。
きっと、今この世界に生きる誰もが、願っていること。早く、争いを終わらせ、自分たちの世界が取り戻せる時代を。
けれど、そんな夢のような終結を、しかし少年だけは望んでいなかった。
いや、望んでいない、というのはおかしい。確かに、彼は戦争を憎んでいた。それを起こす人間達も含めて。
しかし、それならば、彼の晴れない表情はなんなのか。

「ごめん。・・・聞かなきゃよかった。だって」
「・・・レイ」
「・・・戦争なんか、終わらなくていい。したい奴らには、勝手にさせて置けばいいんだ」
「レイ」
「だってそうだろ?思いあがった馬鹿な奴らが起こした戦争なんだ、勝手に戦って、そうして自ら死ねばいい!あんな奴ら・・・っ!」
「レイ!!」

感情的に言葉を紡ぐ少年を、クルーゼは遮った。
彼が、自分以上に世界を、人間達を恨んでいるのは知っていた。
残酷な、出生。造られた理由を考えるならば、アル・ダ・フラガの後継者として生み出された自分よりも、
ただの実験台として、"モノ"として扱われるために生み出された彼のほうが、
どれほど哀しい運命だったことか。
そんな彼を、クルーゼは救い出した。
本当は、元々助けるつもりなどなかった。あの研究所にいる人間は全て、
闇に葬り去るつもりでクルーゼは足を踏み入れたのだ。
ただの気紛れか、それとも、それこそが"運命"なのか。
幼い子供は狭く暗い闇から救い出され、それからはごくごく「普通」といえる少年の道を歩み始める。
けれど、幼い頃に受けた心の傷は、こうして時折顔を見せ、彼を苦しめるのだった。
誰も消すことのできない、心の闇だ。
わかっている。クルーゼ自身だとて、誰も付け入る隙のない闇があるのだから。
だが、どうして自分は、この少年にだけはそんな闇を持っていて欲しくないと、そう思ってしまうのだろう。

「っあ・・・」
「・・・・・・おかわりを、くれないか」
「あ、うん」

慌てて席を立つレイに気付かれないように小さくため息をついて、
クルーゼはモニタをONにし、様々な戦況を伝えるニュースに意識を傾けた。
プラントへの直接攻撃を始めるつもりなのか、月での配備を続ける連合、パナマ以降、まったく動きを見せない、つかの間の休息期間を迎えるザフト。たった数日の休暇ではあるが、あのパトリック・ザラ最高評議会議長の片腕の立場に収まっている自分にすら、まだこれといった情報が入らないことに、
クルーゼは近々、大規模な作戦が展開されるのだと予想がついていた。
大規模な作戦―――、それでは、ついにあの軍事要塞の出番か。

「はい、ラウ」
「ああ、ありがとう」

おかわりのスープをテーブルに置かれて、クルーゼは緩く笑みを浮かべた。
レイもまた、改めて席につく。モニタに映るアナウンサーの声だけが、その空間に流れていった。
所詮。
誰が、何を望もうと、今のこの時代を止めることはできないのだ。
人間1人が持てる力など、たかが知れている。
いったい、どれほどの人間が戦争反対と叫べば、この渦から逃れることができるというのだろう。
こうしている間も、1人、また1人と、死す者がいて、その親族達は憎しみを抱く。
今の現状は、その繰り返しだ。誰が止められるというのだろう。
戦争などしたくない。
誰もが心の底に持っている想いのはずなのに、まったく意味をなさないのは、今がそういう時代だからだ。

「早く終わらせたいものだな、こんな戦争など」
「・・・・・・」

少年はただ無言で、クルーゼの言葉を聞いていた。
彼の言葉に、否定したかったわけではない。戦争が終われば、どれほどいいか。
だが―――

(・・・俺は)

少年は、ただただ目の前の存在を見つめる。

(貴方に死んで欲しくない。・・・ただ、それだけなんだ)

戦争が終われば、目の前の存在が消える。
戦争が終わらなければ、その先にあるものは世界の終わり。
世界より、何よりクルーゼを一番に想う少年が、どちらを選ぶかなど、決まっている。
彼が死んで、平和の訪れた世界など、どんな意味があるのか。
少なくとも、少年には、意味がなかった。そんなもの、平和などではない。ただの、悲嘆にくれる日々だけだ。

「・・・風呂、沸かしてくるよ」

不意に泣きたくなった少年は、顔を伏せ、席を立った。
ぶつけられない。今更、ぶつけられるはずもない、こんな想い。
クルーゼという男が、どれほどの憎悪の上に立っているかを知っている。未来がないことも知っている。
そんな彼が最期くらい自らの手で決したいと、そうして戦場に立っているのも知っている。
わかっている。
自分だとて、きっと同じ立場ならそうしただろう。
だからこそ、―――辛い。
死んで欲しくないと、そう言いたいのに、言葉が出ない。
何をしなくても消え行く命をわかっていながら、心のどこかではそれを納得できていないのだ。
喉から今にもあふれ出しそうな想いを振り切るように、少年はクルーゼに背を向ける。
本当に、―――本当に、残酷な運命。
大切なものを失うのは耐えられない。恐怖だった。また、孤独に陥ってしまいそうな、そんな感覚。
―――怖い。

「・・・、レイ」
「っあ・・・」

椅子のガタリとした音と共に、背に温かな熱を感じ、少年は動きを止めた。
背中から、強く抱きすくめられていた。大きな腕だ。レイは唇を噛み締める。
泣きそうなほど幸せだった。今は。
こうして、彼の傍にいて、彼の熱を感じていられたから。
でも、いつかはなくなるもの。それも、きっと、そう遠くない未来。
レイは無意識のうちに、前に回された力強い腕に、しがみ付いていた。
手放したくなかったから。
いつまでも、この熱を感じていたかったから。

「一緒に入ろう」
「っえ・・・」

耳元で囁かれる声音に、レイは目を見開き、そして少しだけ頬を染めた。
思い出すのは、戦争が始まる、あの日の出来事。
家主であるギルバートが仕事に追われて帰ってこなかった夜。広い屋敷に、たった二人きりだったあの日。

―――俺を、貴方のものに―――・・・

「・・・ラウ」

クルーゼの腕の優しさに、レイはまた、泣きそうになった。





...to be continued.






Update:2005/08/19/FRI by BLUE

小説リスト

PAGE TOP