おやすみ
文字通り、頭がフラついていた。
それでなくても酒など苦手だというのに、勢いに乗せられてグラスを煽ってしまったからだ。
周囲には、クルーゼと、あのクラウドという男と、
店の従業員なのかそれとも客なのか、
こちらもクルーゼの知り合いらしき男たちが数人、テーブルを囲っていた。
あの普段の、自分の前で見せる彼らしからぬ人望の厚さに、
フラガは驚いていたが、
それよりも彼らのテンションの高さについていくのがやっとだった。
先ほどコーディネイターたちのコミュニティでテロがあった事実なんてなかったかのようだ。
本当は、こんな浮かれていられるはずがないというのに。
そんなことを一瞬でも考えていられないほど、隣の男のテンションは高かった。
「あー、手ぇ止まってる。今日はパーティなんだからさ、遠慮しないでいいんだぜ?!」
「いや・・・、もう、俺・・・っ」
もう十分だ、と止めようとするも、
次から次へと注がれる液体に眩暈すら覚える。
仕方なく目の前のクルーゼに泣きそうな目で助けを求めるのだが、
それを見たクルーゼは口元を押さえて笑うばかりで、
ただ羞恥を煽るだけで終わってしまっていた。
「おいおい、クラウドさんよぉ!新米苛めはそれくらいにしとけって!!」
後方から投げかけられた声は、黒髪黒目のザックスという男だ。
こちらは自分たちより2つか3つほど年上かもしれない。
けれど、古くからのクラウドの親友らしく、態度に大人ぶった素振りは微塵も見えなかった。
「苛めだぁ?!俺はたださぁ、この細っこい腰をどうにかしようと頑張ってるわけよ。・・・なぁ、いっつもちゃんと食べてる?」
「!!ちょ、やめ・・・っ」
「ほら、もっと食えって!マスター!」
腰に腕を回され、フラガはこれ以上ないほど焦ってしまう。
そもそもなんで自分がこうして遊ばれているのか、それすらよくわからないままに、
またもや目の前に置かれた料理皿に、気すら滅入る。
もうヤケだ、とグラスを煽れば、更に調子に乗ってアルコールを注ぐ金髪の少年。
不意に、ぐらり、と視界が揺れた。
ヤバイかな、と思った瞬間、目の前が真っ黒に染まる。
周囲の声が遠くに聞こえた。
「よーし、もういっちょいくかぁ?」
テーブルに突っ伏するフラガの肩に腕を回して手のグラスに注いでやるも、
もはやフラガに反応はなかった。
すっかり、意識を失っていた。ただでさえ飲み慣れてないものを5杯も飲まされれば、
ぶっ倒れても仕方のないことだろう。
「・・・クラウド」
「んあ。」
「もう寝ている」
カウンターに座る男の言葉を聞いて、途端クラウドはにやりと笑った。
フラガに触れていた手をあげて、席を立つ。
空いたカウンター席に座ると、先ほどまでの騒ぎはどこへやら。
すっと収まった静かな室内に、1人の男の声が響いた。
「・・・で、先の話はどうなった、クルーゼ」
「ああ」
眠ってしまったフラガに自分の上着をかけてやりながら、クルーゼは口を開いた。
「さすがに、ブルコスも地球軍本部の近くで大規模な作戦は無理だったみたいだな。爆発力はそれほどでもなかった。見た限り、周囲に配置された人数も少なかったしな。被害状況はわかったか?」
カウンターのほうを見やる。
隅に座っていた男は、ヴィンセントといった。
黒髪に紅い瞳が印象的だ。
ヴィンセントは手の中のグラスをからりと揺らした。
「こちらの被害はゼロだな」
「オレらがついてるからな。そう簡単に殺らせねーよ。被害はブルコスと、あと周囲のナチュラルだけ。こいつを公表するかどうかはわからねーけど、・・・ま、ブルコスとっちゃ痛手以外の何物でもないわな」
「そうか」
ザックスの言葉に、クルーゼは頷いた。
彼らにとって、コーディネイターは守るべき存在である。
工作員としてかなり多くの責を担っている彼らだが、その中にコーディネイター達の保護も仕事のうちなのだ。
「・・・にしてもさぁ、なんでブルコスはあの場所を狙ったんだろうな?それ以前に、場所だってバレてなかったろ?」
「俺たち『Blue Eyes』のいびり出しのつもり・・・とか?」
「それは、有り得るが・・・。そもそも、コミュニティ自体どうやってバレたのか・・・」
「でもさぁ、俺らの存在がブルコスにバレちゃ、むしろ地球軍がマズイよね。野放しにしすぎじゃん?あいつ等」
クラウドはそういって肩を竦めた。
『Blue Eyes』―――。
ザフトの、特殊工作部隊の総称。
そのメンバーは、一見するとただの地球軍のエリート兵で構成されている。
いわば、地球軍に所属するザフトのスパイなのだが、
その事情はもう少し複雑だった。
彼らは、もともとザフト正規軍人として所属しているのではなかった。
むしろ、長く地球軍のリストにその名を連ね、そうしてその名を馳せた―――、若きエリート達だった。
そんな彼らが、なぜザフトの味方をしているのか。
その理由は、地球軍が最重要軍事機密として隠す彼らの出生の秘密にある。
「まぁ、地球軍とて下手な動きはできないさ。俺たちをブルコスから遠ざけようとすれば、どんな理由をつけるにせよ怪しまれるだろう。今は普通の正規軍人として、普段どおり扱っているのが丁度いいんだろうさ」
「ま、いいけどね。その代わり、俺らは本来のミッションをこなせる、ってことでー・・・」
そこで言葉を切り、クラウドは真正面に目を向けた。
テーブルで突っ伏したまま眠りこける彼は、クルーゼが先ほどこの場所に連れてきた少年だ。
そう簡単に他人に心を開くことのないクルーゼの連れ。
ひと目見ただけで、皆が気付いていた。
「・・・フラガ家の、跡取りか」
「今更、だがな。それでも地球軍では、その力に頼りたいのだろう。大事にされているよ」
「どうするつもり?」
ごく軽い調子で、クラウドは尋ねた。
皆、この男がクルーゼとどんな関係であるのか、知っていた。
その出生の事情も、フラガ家がどんなことを行ってきたか、その残酷な運命も知っている。
だが、全てが情で収まるわけがないのだ。
ナチュラルでありながら、他人とは飛び抜けた能力を持ったその男。
地球軍にとって、彼は大事な戦力であり、もちろん味方につけたいと思っている。
その一方で、ザフト側では彼を早々に消すべきだ、との声も上がっていた。
ザフト側の人間であるクルーゼにとって、この意見は耳が痛いものだった。
誰にも言わないが、クルーゼにとってフラガは、
唯一の血縁でもあるのだ。
例えそれが、フラガ家という、彼にとって憎しみの対象を通しての繋がりであったとしても、
クルーゼには簡単に切り捨てられるものではない。
「・・・私もまだ、決めかねている」
顔にかかる前髪を指先ではらってやれば、滑らかな頬が覗いた。
感情よりも理性を優先するならば、この無防備なときに、彼を殺してしまえばいいだけのことだ。
だというのにそれをしないのは、
普段クールなままで冷静さを失うことのないクルーゼの感情を、
この男が揺さぶるほどの存在であるということだ。
だから、地球軍よりもザフトを優先し、ザフトよりも同胞を優先する彼らは、
そんなクルーゼに何も言わなかった。
「・・・確かに、この男はいずれ我らの障害になるだろう。・・・だが、今はひとつの切り札でもある」
「切り札?」
クルーゼは頷いた。
「地球軍にとって、それほどこの男が貴重だからだ。彼が我々の傍にいる限り、大規模な作戦展開は行われずに済む。地球軍の要請を無視までしてテロを行うのは、ブルコスにとって得策ではないからな」
「だから、彼を生かしておく、と?」
ヴィンセントの言葉に、クルーゼは苦笑した。
確かに、屁理屈じみた言葉を紡いでいることくらいわかっている。
「・・・せめて、理由くらいつけさせてくれ」
そう、せめて。
少しでも永く、彼を見つめていられるように。
それでも、きっといつか、殺し合う日々が来るのだろう。
ならば、その時ではない今だけでも、
同じ時を過ごしていたい。
・・・それが将来、互いを深く傷つけるものだったとしても。
フラガの部屋に着いたのは、深夜になってからのことだった。
寮、といっても厳しく管理されたような寮ではない。
門限も管理者も居ないただの共同住宅のような場所に、フラガの住まいはあった。
鍵のかかった部屋に入るのは、そう大変なことではなかった。
ポケットを探ると、簡単に鍵が見つかった。
これでは、人ごみの中掏られてもおかしくないのではないかというくらい。
相変らず無防備なフラガに苦笑して、
上着を脱がせ、胸元を緩める。
着替えさせようかとも思ったが、理性が飛びそうだったのでやめた。
薬を盛られて深い眠りについたフラガは、
いまだ目が覚める気配もない。
ただ安らかな吐息を聞きながら、クルーゼはため息をついた。
こみ上げてくる衝動を、どう表せばよいだろう。
初めは、あの男の息子だというだけで、醜い感情すら覚えたこともあった。
だというのに、彼を知り、その存在を追うようになるのに、時間はかからなかった。
何も知らず、ただ父親に疎まれて。
挙句の果てには、何もわからぬまま家を焼かれ、後盾を失って。
哀れな子供。彼が悪いわけではないのに、
あの記憶に苛まされ、一生苦しむのはかれなのだ。
全てを知り、早々に折り合いをつけていた自分よりは、きっと哀れなのだろう。
だからといって、今知らされてもまた、苦しむのは彼なのだろうが―――・・・・・・。
「ん・・・」
何の夢を見ているのか、フラガの口元から小さな声音が零れた。
彼の前髪を梳いていたクルーゼは、そんな彼の表情に目を奪われる。
ゆっくりと、彼の耳の横に手を置いた。
体重をかける。
近づく彼の端整な顔立ちに、吸い込まれるようだ。
唇が触れるほどの距離になって、
その吐息を感じる。
沢山の想いが、クルーゼの中を交錯した。
本当に彼に触れていいのか、
触れていい立場でないことや、
彼を殺してしまうかもしれない人間であることなど、
そんな自分が彼を苦しませるであろうことも嫌だった。
本当は、今更なのだ。
こんな傍にいれば、どんな関係であれ、
彼の心に自分の存在が強く残ってしまうであろうこともまた、わかっている。
―――けれど。
なぜ、彼の心に自分を刻んでみたいと思うのだろう。
どうして、彼の傍にいて、彼を見ていたいと思うのだろう。
彼を苦しませたくないのなら、
『自分』が関わらなければいいだけのことだ。
「・・・―――無理、か」
触れるか触れないかの位置で呟いて、クルーゼは身を起こした。
ゆっくりと、髪を梳いてやった。
フラガは、何も知らぬまま、こんこんと眠りについている。
「―――おやすみ、ムウ」
彼の元を離れることに、抵抗があった。
できることなら、ずっと傍にいてやりたかったのに。
フラガの存在に後ろ髪を引かれながら、
クルーゼはその場を後にした。
...to be continued.