やさしい嘘



今でもまだ、鮮明に覚えている。
すべてを焼き尽くすような炎。視界を埋め尽くす真っ赤な色に、夢中で逃げ出した。
たった、6年前の話だ。だが、何年経とうとも忘れることはないだろう。
月のない夜、幾度となく夢を見た。足が縺れ、炎に呑み込まれる夢を見た。
だから、また同じ夢かと思ったのだ。
炎に包まれる屋敷を前に、フラガは立ち尽くしていた。
周囲には、不安げな様子の屋敷の使用人たち。そしてもう1人。
泣いている10歳足らずの少年は、
紛れもない、過去の自分の姿だった。
胸が、痛い。
嫌な夢だ。本当に嫌な夢。
泣き止まない少年に、フラガは手を伸ばす。まだまだ幼い少年が、びくりと肩を震わせてこちらを見上げる。

『・・・・・・だれ?』

真っ赤に泣き腫らした目。弱々しいその瞳で、『フラガ』は見上げてくる。
フラガは黙って抱き締めた。
一種の自己愛。だが本音は自分もまた同じ。
少年は屈みこんだフラガの首に両腕をきつくしがみ付かせ、悲しみのままに嗚咽を上げる。
衣服の肩を濡らす涙が、やるせなかった。
フラガもまた、唇を噛み締めた。
そうして、どれくらいたったろう。

『お兄ちゃん』

抱いたままの少年が、唐突に言葉を紡いだ。

『ボク、殺されちゃうの?』

どうしてそんなことを、と聞こうとして、声が出せないことに気付いた。

『父さん母さんみたいに、殺されちゃうの?』

はっとする。その肩を掴んで顔を覗き込むと、震える声そのままの怯えたような表情。
そうして。
ガチャリ、と撃鉄の音が鳴った。
突きつけられる銃口。次の瞬間、真っ赤な色が視界を染める。
腕の中に倒れ込む少年はもう既に事切れて。
顔を上げると、今度は自分の額。

「あ・・・」
「さよなら、ムウ」

淡々とした声音を、はっきりとフラガは聞いた。
聞いたことのある声だと、朦朧とした頭でそう思う。
薄れ行く意識の中、確かに『彼』を見たような気がしたが、記憶が曖昧すぎてはっきりしない。
嫌な、本当に嫌な夢。
自分の流す血の色さえ、本当に鮮やかだった。
―――本当に、死んでしまったようだった。















・・・窓から差し込む光が、フラガの目を射た。
眩しさに目を顰める。まだ眠りの中だからか、身体が思うように動かない。
周囲を見ると、そこは白いカーテンに隔てられた個室。
ぱらりと紙を捲る音に人の気配を感じて、フラガは顔を向けた。
自分の寝ているベッドの傍らに椅子を持ってきて、あの少年が座っていた。
サイドテーブルに肘をつき。本を、読んでいた。時折聞こえる、ページを捲る乾いた音。
陽射しが差し込み、彼を照らしていた。
金髪が照り映える。まったく、少年と出会ってからというもの、自分は彼に目を奪われてばかりだ。

「ク、ルーゼ・・・」
「ああ。・・・起きたのか」

掠れた声で名を口にすると、クルーゼは本に銀細工の栞を挟み、
フラガの顔を覗き込んだ。
額に手をかざされる。前髪を掻きあげられ、何をされたかわかった途端、フラガの顔が赤くなる。
まるで、小さな子供に親が心配してそうしているようだ。
羞恥にいたたまれなくなって、フラガは慌ててその身を起こした。

「・・・オレ、なんで・・・」

上半身を起こすだけで、眩暈がした。
そもそも、なんで自分がこんなところ―――学校の医務室―――にいるのかわからない。
記憶を辿ろうとしてみるが、どうしてもあの昼休みからすっかりと抜けている。
空白の時間に、フラガは顔をしかめた。

「っ・・・」
「無理するんじゃない。脳震盪を起こしていたんだ、まだ動くな」
「・・・脳震盪?」

そういえば、頭がぼーっとしている。
確かにそう言われれば、記憶が抜け落ちているのも頷ける・・・けれど。
それでもまだ納得のいかない表情をしていると、
クルーゼは呆れたような表情で肩を竦めた。

「お前、校舎の階段で足を滑らせて落ちたんだぞ?まったく、私が駆けつけなかったらどうなっていたことか」

やれやれ、と心底呆れられ、ますます羞恥を覚える。
階段から転げ落ちた?!しかも打ち所が悪くて脳震盪だって?・・・笑い話もいいところだ。
だが実際、こうして頭の調子がおかしくて、医務室にいる以上、
彼の言葉を信じたほうがいいようだ。
不幸中の幸いといえば、それをクルーゼが見つけてくれたことだろう。
他のクラスメイトになど知られたら、大変な恥だ。情けなさ過ぎる。いや、今も十分情けないけれど。

「・・・その・・・、」
「ん?」
「ごめん。オレの不注意で」
「ああ」

一応謝っておくのが賢明かと、フラガは素直に頭を下げた。

「気にすることない。
 ・・・それと、担任から託ってきたぞ。今日はそのまま帰れ、だと。送ってやるよ」

フラガの鼓動が一気に跳ねあがった。

「っ、いいよ。別に・・・」
「またどこかでコケられても困る」
「―――っ!!」

揶揄するようなクルーゼの口調に、フラガは羞恥か怒りか分からない熱に顔を染める。
クルーゼは声をあげて笑った。手を伸ばして、フラガを再びベッドに横たえる。
布団を肩まで引き上げられ、その優しさに戸惑った。
長く独りだったフラガの心は、ひどくその感触に揺れてしまう。

「・・・まだフラつくだろう?もう一眠りしていくといい」

クルーゼの優しい声音に、素直にフラガは布団に抱かれた。
医務室のベッドは固く、それほど気持ちがいいわけではなかったが、その代わり傍には彼がいた。
不思議な少年。自分の魂が、彼を感じるたびにざわめく。
金の髪、理知的な青の瞳。そうして、その声音。
聞いたことがあるなら、いつ?
過去に思いをめぐらす。不意にあの時の記憶が蘇った。そうして、先ほど見ていた、あの悪夢までも。

―――さよなら、ムウ

「あ・・・」
「・・・どうした?」

クルーゼが不可解な顔で覗き込んできた。
フラガは慌てて首を振った。目を閉じた。このまま寝入ってしまいたかった。
寝ればまた悪夢を見るかもしれない、とは不思議と思わなかった。
そう、ひどく穏やかで、柔らかな空気。
傍にかれがいるから?
フラガは布団に包まりながら、背を向けた存在を意識した。どくりどくりと鳴る心臓の音。止まらない。
固まるフラガに寝入ったと思ったのか、またぱらりと捲られる本の音。
フラガの眠れない午後は、長く長く続いた。





...to be continued.




Update:2005/10/30/SAT by BLUE

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